https://www.youtube.com/watch?v=cznhMqwkLQs&t=424s  



SIRIUS富の独占




https://youtu.be/VUpmQ5fSnMg 

SIRIUS1 詐欺師集団 国際銀行家と


侵略殺人集団アメリカ軍産複合体の陰謀



フリーエネルギー装置SIRIUS3利権構造

フリーエネルギーStanley Meyer SIRIUS3



https://www.youtube.com/watch?v=_mJW59m89-g

映画 SIRIUS Ⅲ
 FREE ENERGY 水で走る自動車WATER CAR
 発明家STANLEY・MEYER氏は、
NATO職員に毒殺された?

(比較的安いコストで普及が可能なようだが 既存の支配層ロスチャイルド、ロックフェラー達石油マフィアにとっては余程 都合が悪かった為、
石油マフィアが殺し屋を放ったのか?)

アタカマ・ヒューマノイドDNA解析


水で走る車 WATER CAR
発明家STANLEY・MEYER氏

水で走る車




アルシオン・プレヤデス8 :  テスラの新しいエネルギー源と支配者エイリアン達の無力化 https://youtu.be/lqrLPLreXSY 

テスラの新しいエネルギー源と支配者エイリアン達の無力化

私達が目にしている限りでは、実に大きな「未知の力−エネルギー」が存在し、それが「エリートの目に見えない糸」を動かし、また同時にあらゆる種類の「不正や悪徳の事実」で満ちたその「世界的システム」全てを、無力化することにしたようだ。
そうして初めて、私達は幸せになり、私達の「何世紀もの間失われていた量子の光の振動周波数」を高め、ちょうど「銀河連盟」の進化した他の天体においてはそうであるように、進化の中の「私達にふさわしい場所」に身を置き得る。

そのため、「地球−コスモスの実に強力な力−つながり」が形成されつつあり、その中で、「優れた人物や専門職の人々」が、この気高い使命を共有している。彼らは司法官、検事、判事、弁護士達と共に、その陰謀や、何年も前より「間違った形で運用されてきた」権力を壊滅させるために働いている。

彼らは「意識−叡智」のレベルの高い存在であり、高潔な人物や専門職の人々と「共同で」、ある「同盟−協定」を形成したのであり、その同盟において、「賢明な形で極めて密かに、アガルティの人々やミュータント(変化した超人)達」、そして移住してきた「シリウス人やプレヤデス人」のグループが、活動している。その目的は、人々を隷属させる権力を何としても「強化−永続させる」ことに固執してきた「ニビル−エイリアンのエリート」]を、決定的に「解任し、打倒する」ことだ。

しかしながら、この「解体−変化」が進行し、良い結末を迎えるためには、厳しく検閲されてきた、素晴らしい「フリーエネルギー-トーラス」が、基本的な要素として係わってくる。
それは、科学者−発明家ニコラ・テスラが発見し、何年も経た後に、グリエルモ・マルコーニ、エドワード・リズカーニン、ヴィクター・グレベンニコフ、ジョン・ベディーニ、ジョン・ハチソン、ロイヤル・レイモンド・ライフ博士、ユージン・マローブといった、別の科学者達によって再開された。
また、原子物理科学者メハラン・タヴァコリ・ケッシュの場合、「反重力のプラズマ」という画期的な技術を発表した「ケッシュ財団」を創立した。この技術により、「外宇宙旅行」が可能になり、また同様に、この「再生可能エネルギー」は、輸送や科学、「医学、電気」等にも応用できる。さらには、「進化した天体」の人々が有するような「空飛ぶ円盤の製造」にも成功している。

これより確認できるのだが、あらゆることの背後にいくつかの国家間の「強力な連盟−同盟」が存在しており、それらが「惑星間連盟や大いなる光の銀河連盟」と共に、何世紀も前から私達の惑星地球に入り込んでいる「人間の振りをして紛れ込んでいるエイリアン達」全ての間もない失脚を引き起こすことに専念している。

今や、「プレヤデスの太陽アルシオネの光子エネルギー」が日増しに強まっているからには、尚更である。しかしながら、私達の入っている「ホログラムが完全に開かれる」時まで、闇の者達の「抵抗−反対」は止まらないだろう。




フリーエネルギーライフ博士AP8

フリーエネルギーユージンマローブAP8

フリーエネルギー権力者ピラミッド崩壊AP8

フリーエネルギーケッシュ財団電球


 

フリーエネルギー 裏社会  

THRIVE日本語5/10

以下転載
http://masashirou.exblog.jp/15932719/

日本では、鹿児島のベンチャ企業が発明した水で走る車がNHKのニュースで放送されましたが、その後不思議なことに消息がなくなり、NHKの映像もYOUチューブから消えました。

その後、どうした訳か、同じような装置で、大阪の企業がマスコミをあつめて、公開実験をして世界中に公開した。世界中が注目したが、なぜか、その後、その会社のホームページはすぐに閉鎖された。ネット上では、永久機関の詐欺の汚名を着せられて、日本では、水で走る車は嘘であったと言うキャンペーンがくりかえされた。その結果日本では水で走る車は詐欺であるということが定着した。

 

 

しかし、同じアジアで、フイリピンのこのニュースがリリースされた。フィリピンの発明家はどうなるのだろう?殺されるかもしれませんね。

どうして、石油にかわる水を燃料として使用できる技術開発を日本は進めないのだろうか?日本が使用するガソリンは約6000万キロリットル、リッター150円として9兆円の市場が失われる訳だから、水がガソリンに置き換われば石油会社が倒産する。電力売り上げが15兆円、そのうち燃料代が半分の8兆円である。

合計すると17兆円の市場(パチンコ業界の25兆円に比べれば少ないが)が奪われるので既存利権勢力にとって、最大の危機となる。しかし、日本人にとって原油を購入する為に外国に支払う17兆円が国内に使われる訳であるからGDPの増加に貢献すると思う。ガソリンを使用しない空気で走る車がインドで近日中に発売される。勃興するアジア諸国にとって、石油に頼らない自国のエネルギー資源確保が至上命令である。

また、欧米資本以外の大企業は世界を今まで支配してきた勢力と対立している今だからこそ、隠された新技術が公開される日が近いと思う。

 http://free.cswiki.jp/index.php?%E6%B0%B4%E3%81%A7%E8%BB%8A

 ここに独占できないエネルギーを、見出した人々がいる。

このエネルギーをフリーエネルギーという。


石炭、石油、原子力ならば独占も出来よう。

しかし、蔓延する水ならば独占することは出来ない。

しかも、僅かな量で、簡単に、莫大なクリーンエネルギーを

引き出し得るならば、なおのことである。

しか し、不幸にも抹殺された。

 「水で走るエンジン発明者は抹殺せよ。」
 
ガソリンの代わりに水を使って走る車ができたら・・・・

という夢のような話に取り組んだ男の物語です。


昔アメリカはオハイオ州の片田舎に スタンリーとスティーブンという名前の双子の兄弟がいました。
2人はいつも仲が良く 物を作り出すのが好きで おもちゃも自分達で作り出していました。
高校を卒業してから オハイオ州立大学に時々通っているのが見られましたが、卒業はしませんでした。 

やがて1970年代に入ると第一次オイルショックが世界中を襲い、ガソリン代が高騰し そのうえガソリンが品切れになるという事態がおきました。

それに刺激されたのか 1975年、齢30歳にしてスタンリーがあることに興味を持ち 研究に没頭しはじめました。

それは ガソリンの代わりに水で動くエンジンの研究と制作でした。


そして使える水は 水道水、雨水、川の水、冬ならば雪、

海の近くだったら海水と どんな種類の水でもOKという 

夢のようなエンジンです。



この研究は一部の人の興味を引いたようで ある時スタンリーはスティーブンに電話で”800億ドルで研究を売って欲しい”という申し出があった と報告しました。

でも研究は完成していなかったので そのオファーは断って研究を続行しました。

やがて 
彼の研究に2人のベルギー人億万長者が興味を持ち 
資金を提供してくれたので 研究は順調に進みました。


1998年の3月20日にスタンリーとスティーブンと2人のベルギー人の4人で 製品の完成にまでこぎつけたので それを祝ってクランベリージュースの入ったグラスで乾杯をしました。

スタンリーがジュースを飲むやいなや 喉をかきむしり 

激しい嘔吐にみまわれました。

建物の外で スティーブンに抱えられたスタンリーは

”やつらに毒を盛られたよ。”を臨終の言葉にして57歳の生涯を終えました。

彼の死を調査したコロンバス市警察署は 死因を病死と発表しました。


http://www.dispatch.com/dispatch/content/local_news/stories/extras/0707/hydro.html (このサイトの Videoのリンクから、Down Lordしてご覧下さい。)

【死亡広告】水で走る車の発明者Stan Meyerはやはり殺された。下は死亡通知。

<Notice of Death of Stanley Meyer
While doing a search in DejaNews, I had seen a brief mention of this from the alt.conspiracy forum. However, based on past experience with such statements and the fact that it was a conspiracy forum, I chose not to act on it. Later, a couple of emails repeated the claim. Finally, Gene Mallove chose to call to see if there was any truth to the report. Here is his email.
From: E.F. Mallove
Subject: Meyer IS dead
Date: Sunday, March 29, 1998 10:38 AM
Vortexians:
I just called the funeral home listed in the announcement of Meyer's death. I used directory information to get the number.
The gentleman there at Evans Funeral Home confirms that Meyer had indeed died and that there was a service there. I hope this ends speculation about the reality of Meyer's death.
Gene Mallove
Dr. Eugene F. Mallove, Editor- in-Chief
Infinite Energy Magazine
Cold Fusion Technology, Inc.
PO Box 2816
Concord, NH 03302
Phone: 603-228-4516
Fax: 603-224-5975
http://www.infinite-energy.com

<究極の燃料 水が燃える。 HHO GAS WATER POWER
水で自動車が走る時代がすぐにやってくる!これは本当ですよ。

WATER POWER 開発成功情報によって8月上旬より急落を始めた原油価格>
http://video.google.com/videoplay?docid=6551972044259706451&

その他のフリーエネルギーサイト

http://www.waterpoweredcar.com/nz.html

スタンリー・マイヤーの車は勿論のこと ニコラ・テスラが1900年代初頭に作った車も紹介している。

水に何かを混ぜて それをガソリンの代 わりに使って既存のエンジンを走らせることに成功したという人物がニュージーランドとオーストラリアにいる。その人達のことも 取り上げている。

 この人達は エンジンを作るのでなくて 水の新しい性質を利用しようとしているように思う。オーストラリアの方の風船を使った映像は、電気処理をした水を風船の中に入れて、それを燃やす実験をしている。映像では確かに燃えていますが、にわかには信じられない映像だ。>

水は、酸素と水素の結合だ。触媒で分解すれば、即クリーンエネルギーだ。

しかも無尽蔵の資源で、又、水が出来る。減らない。汚さない。

石油メジャーが聞いたら、その場で卒倒しそうなモノである。

だから、抹殺され、隠される。


 しかし、隠しても隠しても顕れる。

それは、エネルギーは枯渇するというマインドコントロールから、

目覚めた時、必ず顕れる。それが人間の叡智というモノである。


それには条件がある。独占という迷いから、人々が解放される必要がある。

Stanley Meyer - It Runs On Water (水で走る自動車)






水素燃料電池車は、車体価格とコストが高すぎて普及困難なんじゃないか?


 




NASAを超える?反重力実験 太陽系外 探索への道

UFO ディスクロージャー・プロジェクト(日本語字幕) https://youtu.be/UzJnZqpFzN0 



http://ettechnology.web.fc2.com/video.htm 

ナショナル・プレスクラブでの記者会見

これは2001年5月9日、米国の首都、ワシントンにあるナショナル・プレス・クラブで20余人のUFO、ETに関する直接体験をした証人を集め、政界人や世界の著名なメディアの参加のもとで、CSETIが「秘密公開」に向けて行った記者会見を録画したビデオを翻訳したものである。翻訳は録画したビデオからの英語の書き写しをもとに在米の斉藤弓子さんが訳したものである。( CSETIのこれまでの活動についてはここをクリックしてください。)

ジョン・サイファーによる紹介

何年も前、偉大な映画俳優ジミー・キャグニーが舞台に立っている時、同じ舞台に立つ女優が役からおろされそうになりました。キャグニーは、監督にその女優と話をさせてくれと頼み、彼女に言いました。「とっても簡単だよ。部屋に入って、足をしっかり地面にすえて、目を真直ぐ見つめて真実を言うんだ」。テレビドラマ「X-ファイル」のサブタイトルは、「真実はそこにある」です。まさにその通りです。私はこれを「真実はここにある」と言い換えようと思います。これからあなたがたは真実と対面しようとしています。私は俳優のジョン・サイファーです。7年間、ドアを通り足をしっかり地面にすえて、テレビドラマ「ヒルサイド・ブルース」ではダニエル警察署長として、また大ヒットした人気ドラマ「メジャーダッド」ではクレイグ大将として真実を語るようにしてきました。2年間はドラマ「ダイナスティ」に、1年は「ノットランディング」に費やしました。昼のメロドラマ5本、ブロードウェイミュージカル12本、そして20本の映画に出演しました。すばらしいブロードウェイミュージカル「マン・オブ・ラマンチャ」では、リチャード・キレイの代役を務めました。その中で私は、「実現不可能な夢を見ろ、無敵の敵に立ち向かい、耐え難い悲しみに耐え、勇者さえ足を踏み入れない所に向かって走っていくために」と歌いました。私は今日、ホストのスティーブン・グリア博士を紹介するために来ました。博士は勇気のあるものさえ足を運ばないところに向かってがむしゃらに突っ走っています。彼は緊急医療室の医師で、ノースカロライナ州の有名な病院の緊急病棟科長でした。3年前奥さんと4人の娘さんを前にして言われました。「これまで7年間片手間に真実を追求してきたけど、これからは本職としてやっていくよ」。博士は真実を追求するために高収入の職業から身を引かれました。私はいつもハムレットがホレーショに言った台詞を思い出します。「ホレーショ、君の夢見る哲学なんかより、天国と地獄の間にあるこの地上にはよっぽど色んなことがあるよ」。今から紹介する人は、「私たちが受け入れてきたことよりもっと色んなことがこの地上に存在する。そして私にはそれを証明する目撃者と書類がある」と言える人です。それでは皆さん、スティーブン・グリア博士です。

ホスト スティーブン・グリア博士

ありがとう、ジョン、記者の皆さん、アメリカ国民の皆さん、そして世界中の方々。今日私たちは、今まで50年もの間、馬鹿にされ、疑問に思われ、そして否定され続けてきた問題の真実を明かすためにここにいます。今日ここにいる人たちとそれに加え350人以上もの軍事、諜報機関のいわゆるUFO、宇宙人の目撃者たちは、この宇宙に存在するのは私たちだけではないということを証明します。今日ここにいるサラ・マクレンドンに感謝します。彼女はホワイトハウスの記者で、今日の主催者です。ありがとう、サラ。(拍手) 1993年に私はこのプロジェクトの軍事関連のアドバイザーとバージニア州の田舎町で会い、一般市民と軍事、諜報部員、そして他の人々が一緒になってUFO問題の真実について明かす時が来たという意見で一致しました。その後、私は個人的にクリントン政権の最初のCIA長官だったジェームス・ウールシー氏と会見し、また国防諜報部長、諜報参謀長、上院諜報委員会のメンバー、多くの国会議員、ヨーロッパの閣僚たち、日本の国会議員や世界の他の人たちと会って話をしてきました。誰もがUFOの存在については驚きませんでしたが、皆一概にUFOプロジェクトにアクセスできないことについて恐れていました。私たちが身元を確認した現時点で400人以上にものぼる証人たちは、CIA, NSA (National Security Agency, 国家安全保証局)、NRO(National Reconaissance Organization 国家偵察局)の職員、また空軍、海軍、海兵隊、陸軍の隊員とあらゆる分野での諜報機関部員、軍の機関職員、また会社員、政府の請負企業の会社員で構成され、彼らを通してこの問題を確証できます。彼らは闇の予算や極秘の未確認のプロジェクトに参加してきた人たちです。これらの未確認の特別プロジェクトは1年に少なくとも400億から800億ドルを費やし、世界を永久に変えることのできる技術の上に腰をおろしているのです。私たちが今公然と現れた理由は、アメリカ国会とブッシュ大統領にこの問題に関して公式な調査と公表を促してもらいたいからです。この課題は人類の未来、アメリカの国家安全保障、そして世界平和に密接な関係があります。特にUFOと地球外飛行物体に関する技術は、一般に公開されそれが平和的なエネルギー生産と推進に利用されれば、深刻なエネルギー危機問題を解決することができ、また地球の温暖化に終止符を打ち、今地球が対面している環境問題を改善することができるのです。また私たちは社会共同体として宇宙に武器を配置することの妥当性について討議し始めることが必要です。もし私たちだけが宇宙に存在しているのではなく、他の文明と領地を共有していることが証明できれば、宇宙に武器を配置することは無分別なことで状況を不安定にしかねません。この問題はアメリカ国内と国際社会にとって認識の範囲外だったので議論されてきませんでした。ですからこの問題を認識の範囲内に置くことが必要なのであってそのために私たちは今日ここにいるのです。私たちはUFOが時速何千マイルものスピードで飛び、停止し、そして右に曲がったのをレーダが捕らえたことを証言することによってこの問題を確証することができます。それらの飛行物体は反重力推進力方式を使って動きます。この方式はすでにアメリカ、イギリスや他の国々での機密プロジェクトでどのように作動するのか研究され、解明されています。UFOは地球にすでに着陸しており、特にアメリカの特別チームによって撃墜され、また回収されてきました。そして少なくとも50年もの間、異星人も回収され彼らの飛行物体は没収され徹底的に研究されてきました。私たちは今日公開する証言と書類によって私たちが知っている限り少なくとも2代に渡る大統領の政権によってこの課題が議会のメンバーから隠されてきたことを証明できます。合衆国憲法はこれらの機密プロジェクトの増大する権力によって堕落させられてきました。これは国家の安全保障にとって非常に危険なことです。ここで強調したいのは、異星人たちは私たちに対して敵意をもっているという証拠はどこにもないということです。ところが異星人が私たちの敵意を懸念しているという証拠はたくさんあります。彼らが私たちの大陸間弾道ミサイルを作動不可能にしたり、発射能力を鈍らせたりしたこともあります。今日、証言者たちがこれらの出来事についてお話します。ETは私たちに宇宙に兵器を配置して欲しくないということを明らかに示してきました。しかしながら私たちは危険な道を押し進めています。国会と大統領そして国際社会によって管理されてこなかったので、この問題は国家の安全保障を脅かすものになってきました。だから私たちは事実を明らかにしなければらないと感じているのです。これが 「秘密暴露のキャンペーン(ディスクロージャー・プロジェクト)」の始まりです。先週ブッシュ大統領に渡したメモに、私は私たちの目的がたちせられるまでこのキャンペーンは続けると書きました。そしてその目的とは

  • UFO問題についてアメリカ議会で率直で公正な公聴会を持つこと。
  • 恒久的な宇宙への武器配備の廃止と、すべての地球外物体への攻撃の禁止。
  • これ以上の環境破壊を防ぐのに間に合うように石油の使用を撤廃し、また今後10年間に確実におこるはずのエネルギー危機戦争を防ぐために、どのようにしてこのUFOに関する技術を明らかにし、そしてそれを使ってどのように平和的にエネルギー生産ができるかについての十分な研究をすること。

これは最も緊急な事項です。もちろん今までUFO問題はばかにされ続けてきました。私は緑色の小人について記事を書きたがる多くのマスコミの人々を知っています。しかし実際はUFO問題が笑われるのは、それが大変重要だからです。私はペンタゴン(アメリカ国防省)や議会のメンバーである大の大人たちが泣いてこういうのを聞いてきました。「いったい私たちはどうしたらいいんだ」と。私たちは、この問題が正当に世間に明らかにされるのを見届けます。私たちがすでにビデオでインタビューした100人以上もの中の勇気のある最初の21人の証人たちが前に出て真実を語ります。人々は猜疑的な目で見ると思いますが、無分別にそうするとは思いません。なぜならこの証人たちは信用に値し、自分たちが何者であるかを証明でき、また人類にとって最も重要な出来事の第一目撃者たちだからです。彼らの何人かはアメリカで核兵器の扱いを指揮し、国家の安全保障についてのすべてにおいて多大な信用を得てきた人たちです。私たちは今彼らの言葉を信用しなければなりません。バチカン市国のバルドゥチ司祭は最近のインタビューでこう言いました。「この目撃者たちの証言を受け入れないのは愚かなことだ」と。疑問に思うのは結構です。でも偏見をもって見たり頭でっかちな態度でにこれに対応したりするのは見当違いです。これはとても重要な問題なのです。マスコミ、科学学会、そして政府の官僚たちがこの問題を真剣に受け取り、人類と私たちの子供たちにとって正しい行動をとって欲しいのです。私たちは何十人もの最高機密の目撃者たちの500ページ近い書類と証言のコピー、そして4時間にまとめたビデオをメディアと国会のメンバーのために用意しています。このビデオは商業用ではなく、私たちがインタビューした120時間にわたるビデオを4時間にまとめたもので、マスコミと国会議員の人たちに見てもらうために用意したものです。私はこの問題が真実で人類の未来にとって非常に重要だということを確証できます。今これを聞いているすべての人々にお願いします。議会のメンバー、世界の国々のリーダーたちにコンタクトをとり、この問題について率直な調査を行うように、また私たちは他の生物と宇宙を共有しているので、宇宙兵器の廃止を支持するよう頼んでください。そしてこれが人類の子供時代の終わりだということを理解してください。今こそ私たちが宇宙文明の一員である大人に成長する時なのです。そのためには私たちは平和的な文明にならなければならず、宇宙に進出するのは辺境に兵器を配置する目的ではなく、他の文明と協力していく意図の下でなければなりません。証言者はあなたがたの向かって左側から順番に始めます。彼らが自己紹介し、どんな政府や軍の仕事に従事し何を個人的に経験したかを話すまで質問はしないでください。会の終わりに会場が閉まるまですべての質問を受け付けますし、あなたがたが必要なすべての情報を提供します。それでは最初の証人から始めます。ジョン・カラハン氏です。

ジョン・カラハン氏

私は退職したFAA(米国連邦航空局)の職員で ジョン・カラハンといいます。「ワシントンDC事故評価・調査部局」の局長をしていました。退職する2年程前、アラスカ局からマスコミに何と言って伝えたらいいのかという電話をうけました。私が「マスコミに何を伝えるって?」と聞き返すと彼は「UFOについてです。」と答えました。事態はここから悪化していきました。「UFOだって?」と私は言い、そのころすべての政府職員が言っていたのと同じように「調査中だ。」と答えました。それから私はアトランティックシティのFAAの技術センターにすべてのデータを送らなければならず、私の直属の上司と軍務長と一緒にその翌日アトランティックシティに出かけました。私はビデオカメラを購入したばかりで、その出来事をビデオに録画しました。私たちはアトランティックシティでパイロットと管制塔員が見たとおりのものを彼らに(Planned ViewDisplay)再生させました。そして管制塔員が言った言葉と彼が聞いたことを映像と同時に聞けるように彼の声が入ったカセットテープとビデオを同時に流しました。そして私たちはそれを録画しました。次の日ワシントンDCに戻り、管理者のエンゲン海軍将官に事の次第を報告しました。彼は五分間ですべてを報告するように言いました。私たちが報告をし始めると彼は録画したビデオを見ることができるかどうか知りたがりました。私たちはビデオを再生し、彼はそのすべてを見ました。その次の日エンゲン海軍将官はレーガン大統領の科学スタッフと彼らがつれてきた他の人々へ手の込んだプレゼンテーションをするためにミーティングを設定しました。そしてすべてのデータを彼らに渡すために、その朝9時か10時ごろFAAの会議室で、3人のCIA職員と3人のFBI職員とあとはよく覚えていない他の誰かに対して、私と私が連れてきたFAAの専門家たちと共にプレゼンテーションを行いました。私たちは彼らにすべてのデータとビデオとコンピュータのプリントアウトを見せました。彼らは一様に興奮していましたが、すべてが終了したとき、CIA職員の1人が私たちは秘密を誓わなければならない、そしてこのミーティングは開かれなかったし、この事件は起こらなかったことにするようにと全員に言いました。私は「なぜですか?」と尋ねました。その時点で、その物体は単なる秘密の爆撃機だと思っていたからです。彼は「これはUFOがレーダーに記録された最初の事件だ。」と言いました。それを聞いてそこにいた人たちはとても興奮していました。そして私が「一般にこのことを公表しますか」と聞くと彼は「いや一般市民には伝えない。パニックになるからだ。私たちはデータを持ち帰って研究する」と言いました。そして私はそうか、彼らはそうするのだと思いました。私はこの話を色々な人に何度もしてきましたが、時々人々は怪訝な顔をします。私はこのことに関わった管制塔員の声が録音されたFAAのオリジナル・テープを持っています。大統領のスタッフにこの件を引き渡してからFAAはこのことについてどうすればよいかわからなかったのです。FAAUFOと飛行機との区別をつけないので、これは私たちの仕事の範囲内ではありませんでした。私はかなり興味深いオリジナル・ビデオのコピーを持っています。すべての報告が終わった後、私のオフィスには多くの報告書が入ってきました。これはFAA仕事の範囲外だったので報告書は私の机の上に来るはめになったのです。その報告書は、私が退職しスタッフが私の荷物をまとめ、私の家に運び込むのを手伝ってくれる日まで、私のオフィスの机の上に山積みになっていました。また2、3日前、1992年の私の税金還付用紙と一緒に、レーダーターゲット(目標物)のUFOのコンピュータ・データを出力したものを箱の中に見つけました。その時にレーダーが捕らえたすべての目標物(UFO)を見たいのであればここにあるプリントアウトをもとにして再生することができます。そしてこれは「UFO事件、日本1628号」と呼ばれているものです。これは19861118日に起きました。私は議会でここで私がお話したこととここにあるすべての証拠は真実だと誓うつもりです。ありがとうございました。(拍手)

チャールズ・L・ブラウン

おはようございます。すみません、少し緊張していて。私は、 チャールズ・L・ブラウンといって7年間の海外任務の後、退役した空軍中佐です。私は自分の名前が気に入っています、というのもスヌーピーのマンガでチャールズ・シュルツ氏がこの名前を有名にしてくれたからです。第二次世界大戦中、私はウエストバージニアの農家の若い息子でしたが、愛国心に目覚めてアメリカ陸軍に入り、ヨーロッパで爆撃機を操縦するはめになり、戦争が終わる時、太平洋を輸送していました。1949年の夏の終わりに大学を卒業し、新しく設立されたアメリカ空軍に召還され、特別調査室という組織に任務を与えられました。大概の方々は御存じだと思いますが、アメリカ空軍は1947年に結成されました。特別調査室はアメリカ空軍の中で中心の調査局で、私が思うに1948年に作られました。ですから比較的すべてが新しかったのです。言うまでもなく、1947年に始まったUFO問題はかなり新しい事項でした。空軍技術諜報センターはライトパターソン空軍基地にあって、私のオフィスの隣のビルにありました。私の所属する特別調査室は空軍におけるUFOについての世界的な調査局でした。これは2年ほど続きました。そしてプロジェクトの名前は「プロジェクト・グラッジ」(project grudge)といいました。これはエド・ルペルト率いる「プロジェクト・ブルーブック」の前の形でした。私はデータを集め、――私が集めようとしたわけではありません――データは私のオフィスに送られました。私はそれを分析しました。私はパイロット調査官だったので空軍技術調査員の人々にアドバイスをすることができました。とても大規模なオフィスを想像なさるかもしれませんが、私が思い出す限りでは中尉と秘書と技術下士官だけで構成されていました。これらのさまざまな文書報告を分析していくうちに、私はこれらの報告の中には何らかの真実があるとはっきり確信するようになりました。地上有視界、地上レーダー、空輸有視界、空輸レーダーでこれらのUFO目撃が確認されています。目撃者たちは民間航空機パイロット、軍事機パイロット、警官やその他の私たちが日常生活において頼りにしている人々でした。そして彼らは尊敬すべき信用に値する人々なのです。私はここで他の信用できる人々の証言があなたがたを納得させ、グリア博士のディスクロージャー・プロジェクトを進めていくことを願っています。このプロジェクトにはアメリカ国民だけではなく世界中の人々の関心を集めるために後押しが必要なのです。異星人の宇宙船は世界中で目撃され、確認されています。私は喜んで誓いの声明にサインしますし、私の判断と私が観察したことを証言します。UFOは存在します。どうか私が言ったことと、他の証言者たちの言うことを信じてください。ありがとうございました。(拍手)

マイケル・スミス

私はマイケル・スミスです。1967年から1973年まで私は空軍の下士官で、任務は航空機管制官と警告オペレーターでした。1970年にオレゴン州クラマスフォールで任務中のことでした。私がレーダー室に着くと、そこにいる人々は約8万フィート上空を旋回していたUFOがレーダーに写っているのを見ていました。UFOは約10分ほど静止していましたが、その後ゆっくりとレーダーから外れるまで下降していきました。そして5分から10分間レーダーから消えていましたが、その直後再度8千フィート上空に現れ、停止しました。次にレーダーに入ったのは200マイル先で、静止状態でした。10分ほど旋回し、そしてもう2度同じことをくり返しました。私はUFOを目撃した時に普通するべきことを学びました。それはまずNORAD(北米防空軍)に報告し、このことについて何も書類に書き残さないで自分の中に納めておくということでした。このことは必要な者だけが知るべきだったのです。NORAD(北米防空軍)はその後同じ年のある夜、UFOがカリフォルニアの海岸線上に現われたと電話で知らせてきました。私は彼らにこのことについて何かするべきことはないかと聞くと彼らは何もないと答え「何も書き留めなくていい、ただの警戒報告だから」と言いました。そして1972年の後半にミシガン州の753レーダー飛行中隊に駐在中、非常に狼狽した2人の警官から電話を受けました。彼らは高速75線に沿うマッキナウ橋から3機のUFOを追跡しているところでした。すぐに私はレーダーをチェックしそのUFOがレーダーに写っているのを確認した後, NORADに電話しました。NORADの人たちはその頃2機のBー52がキンチェロー空軍基地に向かっていたので心配していました。彼らはUFOBー52に接近するのを欲しなかったので、Bー52の進路を転換させました。その夜私は警察、保安庁とそのスタッフから多くの電話を受けましたが、私の応答は「レーダーには何も写っていませんでした」でした。私は議会の公聴会でこのことを証言します。ありがとうございました。(拍手)

エンリケ・コルベック

おはようございます。私の名前は エンリケ・コルベックといい、航空運輸の管制塔員をしています。英語があまり上手ではなくてすみません。大勢の人の前で話すのに慣れていないので、とても緊張しています。私は証人としてここに来ていて、今から私の仕事についてお話ししたいと思います。私はメキシコ市のメキシコ国際空港でレーダー管制塔員として働いています。それではメキシコで数年に渡って起きたUFO目撃事件について例を挙げたいと思います。不幸にも私の国ではUFO事件が多く起こっています。例えば1992年の3月4日、私たちは国際空港から15マイル以内の距離にあるトルカ空港の西側で15機の飛行物体をレーダーに捕らえました。それから1994年の7月28日、国内線エアロメキシコ129機とUFOとのほとんど衝突事故ともいえるほどの事件が起こりました。パイロットのレムンド・セルバンテス・ブルーノは着陸ギアのすぐ左側から激しく何かが砕けるような音がするのを聞きました。それは大体夜10時半ごろのことでした。そして次の週、朝の1130分にコルソパイロットが操縦するエアロメキシコ904機があやうくUFOと衝突するところでした。私たちは突然その物体を一瞬レーダーに捕らえました。そしてその次の週、それぞれ違った時間に航空機か矢のように飛ぶ光を見たというパイロットたちから多くの目撃報告がありました。私たちはその週そのいくつかをレーダーで発見しました。1994年9月15日に私たちは約5時間もの間、新しいレーダー装置のモニターにある物体を捕らえました。私たちはその装置が正しく作動していないからだと思っていました。というのも同じ物体が静止したまま5時間もレーダーに捕らえられ続けることは普通ではないからです。技術者によればそのレーダー装置にはどこにも問題がないということでした。とても興奮する出来事でした。次の日にジェイミー・モーサンというUFO 目撃事件の近隣の都市を調べているセラピストから情報を受けた時、私たちは驚きました。彼によればトルカ空港の南西の地点で多くの人々が直径15メートルもの巨大なUFOを目撃したということです。UFOは痕跡を地面に残しました。そして19941124日、私たちは公式に新しいレーダーシステムを導入しました。この時点で私たちはパイロットがUFOを目撃したのと同時にレーダーに目標物を確認することができるようになりました。そういうわけで私はここにいます。私の国ではこの問題はとても危険だと考えています。もっと多くのケースがありますがこれ以上時間を割きたくありません。これらの出来事は特に私の国では飛行交通上とても危険だということを世界中の人々が知るのはとても重要なことです。なぜメキシコにUFOがよく現われるのかわかりませんが、私が言いたいのはUFOは出現していてそれはとても危険な問題だということです。一般の人たちは不幸にもこのことを知らされていません。しかし私たちにはこれ以上UFO事件が起って欲しくないのです。ありがとうございました。英語が不得手で失礼しました。(拍手)

グラハム・ベスーン

私は グラハム・ベスーンといいます。退役した海軍中佐パイロットで最高機密へのアクセス許可証を持っていました。50年前の1951年2月10日、私の操縦する機はアイスランドからニューファンドランドのアルジェンティアに向って飛行していました。夜間で、辺りはとても暗かったです。アルジェンティアの300マイルほどの地点で私は何か光る物が街に近付いているのを海上に見つけました。私たちがこの光る物体に近付くとそれは巨大な水に写る丸い白い光へと姿を変えました。この光を観察しているとしばらくしてそれは消え、海には何も見えなくなりました。次に私たちが見た物はもとの白い光よりもっと小さな黄色の光輪でした。その光輪は私たちから15マイルほど先にありました。そして急に海面から私たちと同じ高度へ向かって上昇してきました。その光輪の軌道のため私は自動操縦装置を解除し、この光の下になんとかすれすれに潜り込もうとしました。その時下方で物音がするのが聞こえ、私はその光る物体が私たちの機にぶつかったのだと思いました。しかし実際は何人かの乗組員が突っ込んで交互にぶつかった音でした。そのことでメンバー2人が怪我をしました。その光は私たちの右側に現れ、ゆっくりと動き、私たちと一緒に飛行しました。その光はまだ私たちの高度までたちしていませんでたが、私はその形を見ることができました。ドームがあり、冠から光を発していました。私はもう一人のパイロットのアル・ジョーンズに操縦をまかせ、客席の様子を見に行きました。コックピットに戻り、私は皆にこのことについて誰にも報告しないように言いました。乗っていた心理学者が単に「たぶん彼らは私たちを監禁するだろう」と言ったからです。コックピットの機械にはコンパスの分野で基本的に4か5のトラブルが起こりました。方位ファインダーとこの種の機械に関しては電磁波の影響があるからです。UFOはレーダーによれば時速1800マイル以上で飛行しているいうことでした。しかし私たちの高度にはたちしませんでした。31人の乗客と心理学者が1人、そして乗組員全員が様々な方向にこのUFOを目撃しました。ニューファンドランドのアルジェンティアに着いた時、空軍のポールソン大尉から質問を受けました。パトゥックセット川の海軍エアーテストセンターに着陸した時は、空軍の諜報部員から個々に報告を提出するように要求されました。私は国の公的記録より、18ページの陸軍と空軍の報告書類を持っています。私は真実を語るために報告書を作りました。このことについて書かれている書類がこれだけの量にのぼります。(手でジェスチャーをして聴衆に見せる)ですから真実はここにあります。私は国会で私が今言ったことがすべて真実であると証言します。(拍手)

ダン・ウィリス

私はダン・ウィリスといい、アメリカ合衆国海軍に所属していました。当時私は最高機密レベル14、特別物質取り扱い許可証を所持し、サンフランシスコの海軍駐屯地通信室で働いていました。1969年に私はアラスカ近くにいた船から機密扱いになっていた重要メッセージを受け取りました。それは港の湾曲部近くの海から明るく光る赤っぽいオレンジ色の直径約70フィートの楕円形の物体が出現したという報告でした。その物体は海の中から突如現れ、空に飛び出し、時速7000マイルのスピードで飛行して行きました。これは船のレーダーで探知され確認されました。それから何年も後、私は13年間サンディエゴの海軍電気工学センターで勤務しました。そこで一緒だった私の同僚はNORAD(北米防空軍)で働いたことがありました。彼がNORADの施設で働き始めたある日、宇宙と空中に行き交うすべての飛行物を探知するスクリーン上にある物体が写っているのに気付きました。その物体は信じられないような動きをし、右に直角に曲がりました。彼がその物体について尋ねた時、引用「それは私たちの小さな友人たちが訪問しているだけのことだ。」と年上の上司が言いました。これは少し異例の出来事でした。これらの供述は真実であり、私は喜んで議会の前で証言するつもりです。ありがとうございました。(拍手)

ドン・フィリップス

私はドン・フィリップスといいます。アメリカ合衆国空軍に所属し、政府のある諜報機関とともに働いていました。空軍に入る前の大学在籍中、設計工学者として、有名なロッキードスカンク・ワークス(戦闘機プロジェクト)で働きました。ケリー・ジョンソンという人と仕事をした時は私の人生の中でもっとも誇りの持てる時期の一つでした。皆様にもそれはわかっていただけると思います。私たちが組み立てていた飛行機のモデルはすべて機密扱いでディープブラック(闇)の部類でした。私が参加したのはU2プロジェクトの終わりごろでした。私の関わった主なプロジェクトは後にSR71と呼ばれていました。SR71には前の形があり、CIAのために独自に作られたモデル(航空機、戦闘機)でした。それは1つの場所から他の場所へ大変速く移動するための乗客1人、パイロット1人用の特別な航空機(戦闘機)でした。現在これらの私たちの知っているSR71はブラックバードと呼ばれ、その飛行高度と保持するスピードの記録に関してはいまだ機密扱いになっています。私はこの航空機(戦闘機)が冷戦の終焉に大きな役割を果たしたと誇りをもって言えます。その前の形の航空機(戦闘機)はおそらく空中に出ると違った役割を果たしたという強力な証拠を示しています。私も何人かを知っているのですが、パイロットたちは離陸する前に任務を割り当てられていました。彼らは離陸すぐ直前までその任務について知らされていませんでした。そしてその任務には二重の役目があったという確かな証拠があります。彼らは地球から出るものと入ってくるものの何らかの交通量を監視していました。これはあとから証言することにして、私の軍での体験をお話します。私の空軍での最初の駐屯地はラスベガス空軍ステーションでした。ラスベガスでの私の最初の体験で、私にはなぜ人々がこのような場所に好んで来るのか理解できませんでした。しかし1年後にそれがわかりました。ネリス空軍基地があったからです。ネリス空軍基地は特別航空機と戦闘機の主な訓練地の1つで、世界中のパイロットが集まってくる訓練地だったのです。しかし私の任務地は50マイルほど街中から離れたチャールストン山の近くのレーダーサイト地だと知った時、私にはどのようなところに行くのか全く見当がつきませんでした。なんとか日中の光で場所がわかり任務についた報告をしました。それは1965年のことでした。1966年のある早朝、1時から2時の間に私は基地の中の8000フィートほどのところにある兵舎にいました。誰かが大騒ぎしている声が聞こえました。その高度なので音はとてもよく響きます。わたしは朝早くて夏だから暖かいし起きて見に行くべきだと思いました。本当はそうしたくなかったのですが、私のオフィス近くの道を出て、音がする部屋の中を調べてみました。その部屋は指揮官の部屋でした。私はチャールズ・エバンス中佐の元で働くスタッフでした。私は誰がこのような騒音をたてているのかわかりませんでした。だれがこんなに朝早く大騒ぎしているんだろう。私が4人か5人の人たちが立っているところの50ヤードまで近づいた時、(その中の一人は安全防備チーフでした)全員が同じ方向の空を見上げているのに気付きました。私も西北西に目を向けると、驚いたことに空に光が点滅していて、その光は時速2400から3800マイルのスピードで動いていました。私たちが遠距離から見当をつけただけでも、これはすごいことでした。引き続きこれらの矢のように飛ぶ光を見続けると、光は空を横断した後、停止しました。全くの停止状態になり、そして鋭角に反対側に方向を変えて飛んで行きました。その光はとても速く飛んでいたので、空に跡が残ったように見えました。コンピュータを使う人にはわかってもらえると思いますがマウスをモニター上で素早く動かすと尾のようなものが見えます。それはまさしくこの6機か7機の飛行物体に起こったことでした。5分間ほどこれを観察していると、飛行物体は西北西の方向で一緒になり円形を作りました。私が強調したいことはこれらのUFOは「エリア 51」として知られた場所のすぐ東側の位置の、私たちから見て北北西の方向で円形を作ったということです。エリア 51AEC(原子力委員会)の元の名前でした。私たちは空軍のグルームレーク飛行テスト施設として知っていました。「スカンク・ワーク」プロジェクトで原型の航空機を製造した後そこでテストをしたのです。さて、話をUFOが作った円形に戻しましょう。UFO1つに合体し、そして円上に廻り、そして消えました。私は、これは秘密にしておかなければいけない事件だと思いました。それは安全防備チーフからも証明されました。私たちはそこで待ち、おそらく1時間ぐらいはそれについてしゃべったと思います。それから高度1万フィート以上にあるスコープのレーダー監視者たちが来ました。彼らは朝の2時に夕食に来たのです。バスから初めに降りた人はアンソニー・ケイサーという私の親しい友人でした。彼はベッドのシーツのように白くなっていました。彼は私に言いました。「あれを見たかい?」そして私たちは全員「ああ、良い見せ物だったな。いいショーだった」と答えました。彼は「私たちはレーダーで証拠を捕らえたけど機密扱いにはしなかったよ。飛ばせとけっていうただの軍命令だった。6つから7つのUFOを確認した」と言いました。誰があれを操っていたのか知りませんが、明らかに頭のいい奴でしょう。それらのUFOは一つに合体して消えてしまったから、どこに着陸したのかはわかりません。とういうことでこの時点で私の言いたいことを一言で言えば、私は今私の言ったことが真実であると議会で証言します。ありがとうございました。(拍手)

ロバート・サラス

私はロバート・サラスです。履歴に書いてあることに反しますが、私は空軍で大佐ではありませんでした。空軍士官学校を卒業した後、1964年から1971年まで空軍に所属し、退役した時は空軍大尉でした。1967年の3月、モンタナ州にあるマルストラム空軍基地でミニットマンミサイル打ち上げ将校として任務についていました。1967316日の早朝、階上の第一警備員から電話がありました。その時約6人の安全警備飛行士がいたのを覚えています。私は階下の60マイル地下のカプセルの中にいて10の核兵器が先端に搭載されたミニットマンミサイルを監視、管理していました。私はその日の朝、警備員から空に奇妙な光が飛んでいるという報告をうけました。私はその電話を無視し、もっと重要なことが起こったらまた知らせるようにと言いました。次に私が電話を受けた時はその警備員の声のトーンが違っていました。彼は明らかに怯えていて、「とても明るい赤い物体が正面の門の外側を旋回していて、それは楕円形でした」と言いました。彼は他の全員の警備員に武器を取り出させました。そのすぐ後に休眠中だった私の指揮官で現在は引退した大尉のフレッド・マイワルドを起こし、私は大尉にその電話について話しました。私が説明しているとミサイルが次々と落ち、発射不能状態になりました。2度目の電話を受けてからほんの数分間UFOが正門の外を旋回している間に6から8のミサイルを失いました。そして同じ日の朝指揮官に報告した後、私たちは大変似た事件がエコー飛行隊でも起こったと知らされました。私はオスカー飛行隊にいました。エコー飛行隊でもUFOがミサイル発射施設で目撃され、彼らは10のすべての兵器を失いました。整備工と警備員のクルーがそこにいて、夜を過ごしUFOを目撃したと報告しています。エコー飛行隊の指揮官は大尉として今は退役しているエリック・カールソンでした。私たちにはこれらの証人がおり、今挙げた人たちはこの事件について以前に語っており、私の話を支持するでしょう。私はまた空軍からのリクエストでFOA(情報公開条例)から受け取った証拠文書も持っています(聴衆に見せる)。それにはエコー飛行隊の事件のアウトラインとUFOに言及している文書も含まれています。またこの事件のことを述べているテレックスも持っています。(聴衆に見せる)そしてその中のテレックスの1つには「10のミサイルを失ったのに明確な理由が全くわからないということはこの司令部にとって重大な関心事である」と書いてあります。これはSAC(戦略空軍司令部)の司令官からです。私たちにはこれらのテレックスがあり、約12人の目撃者がいます。そしてその中にはこの話の一部を証言できる、空軍の依頼でこの事件を調査した人もいます。次の証人もこのことについて少し触れると思います。そしてまた同じ時にUFOを目撃した他の警備員もいますし、他のUFOの報告をした今は大佐として退役している将校もいます。それに付随して私は19668月にノースダコタのミノット空軍基地で起きたとても似た事件の完全な報告書も手に入れました。これは私たちの事件が起きた日の1週間以内に起きたもので、ミサイル地下格納所の上でUFOが目撃され、空軍が調査したという私たちの事件に似たUFO事件です。私は今言ったすべての事件の真実を喜んで議会で証言します。ありがとうございました。(拍手)

ドワイン・アーンソン

おはようございます。私はドワイン・アーンソンといいます。26年間ベトナムを含む世界中でアメリカ合衆国空軍の情報電気将校として任務しました。私は運良く3つの異なる空軍の部隊で指揮官として選ばれました。最高機密SCI(特別区分情報)の許可証を持っていてこのことを知らない人のために言いますが、これは最高機密(トップシークレット)のさらに少し上をいくものです。私は1986年にオハイオ州にあるライトパターソン空軍基地で大尉として退役しました。それではUFOに関連した3つの異なる経験をお話します。1960代前半、ドイツのラムスタイン空軍基地で若い中尉として私は暗号センターを管理していて、最高機密の秘密許可証を所持していました。私は暗号センターに入ってきたメッセージのことをとても鮮明に覚えています。それは「一機のUFOがノルウェイのスピッツバーグに墜落した。科学者のチームが調査に来ている」というものでした。時間的に進んで、1967年に私はモンタナ州のグレートフォールにある第28空軍隊で任務についていた時のことです。私はそこの情報センターを監督する将校でした。機密の口座を持ち、その口座の管理人でもありました。私はまた核兵器発射の承認者でもありました。その期間に情報センターから来た通信を見たのを覚えています。それには基本的にボブ(ロバート・サラス)が今話をしたことが書かれていました。一機のUFOがミサイル地下格納所の近くで目撃され、ミサイルが発動不能になったというものでした。偶然にも、ミサイルがなぜ発動不能となったかを調査するためにボーイング社がよこした人は、ボーイング社で私の最初の上司だった故ボブ・カミンスキ氏でした。私は別の状況で彼と関わったことを覚えています。彼は私の故郷であるワシントン州のオーバーンの私の家の近所に住んでいました。彼は「アーニー、ミサイルは完璧にきれいなままだよ。あれは何かの結果だったんだ」と言いました。最後の事件はメイン州のカスウェル空軍基地で、ある部隊の指揮官だったときに起こりました。私はメイン州のローリング空軍の警備警官に知り合いがいました。彼らはローリングAFB(空軍基地)の核兵器保管所の近くでUFOが目撃されたと私に言いました。私はこれらのことが全くの真実であると喜んで議会で証言します。ありがとうございました。

ハーランド・ベントレー

おはようございます。ハーランド・ベントレーです。1957年から1959年の間、私はワシントンDC北部のメリーランド州オルネー近くのナイキアジャックスミサイル基地でアメリカ陸軍の一等兵として任務についていました。1958年5月の朝6時頃、外で物音がするのが聞こえました。それは鼓動している変圧器のようでした。寝床から起き上がり窓から外を見ると、ある飛行物体が空から地上に墜落し、その物体からかけらが落ちるのが見えました。そしてそれはまたすぐに離陸し、飛び去りました。これについてはもっと色々な話がありますが、少し手短に言います。翌日の夜、レーダーを監督する任務についているとガイサースバーグミサイル基地隊員から電話を受けました。彼が「ここから50100フィート上空に1215機のUFOが確認されました。」と言ったので私は尋ねました。「それはどんな音をたてているんだ?」彼は頭からマイクをはずし、窓からそのマイクを出し私に聞かせて言いました。「ほら」それは前の朝、私が聞いた音と同じ種類でしたが、この日の音はもっと激しいものでした。私のレーダーは待機状態だったのですぐさまスイッチをいれるとレーダースクリーン上に光を捕らえました。そして数分後その光は突然離陸しました。その光が離陸するとレーダースイープ(秒針)が回ってきてその光を捕らえました。そしてレーダースイープ(秒針)がその光を再び捕らえました。その光は2度目にレーダースイープ(秒針)が捕らえた時には最初の位置からレーダースコープの2/3ほどに動いていました。 そこまでの距離に行くには継続速度時速17,000マイルはあったと思います。これが私の体験した最初の事件でした。10年後、私は電気工学の学位を取得し、カリフォルニアで働いていました。カリフォルニアのある場所としか言えませんが、私はそこの仕事とは別に機密扱いのプロジェクトに参加していました。カリフォルニア時間の朝の2時か3時に仕事をしていると、ヒューストン宇宙飛行士情報通信が聞こえました。私は「おばけ」という単語を聞くまで特に注意して聞いていませんでした。「おばけ」という単語を聞くともちろんすぐに私は聞き耳をたてました。未確認の飛行物体か航空機か隕石か何かが月のまわりを廻る宇宙船と衝突したと言っていました。私はしばらく通信を聞いていましたが、そのあと聞くのをやめ仕事に戻りました。そしてしばらくすると「ほら、またあそこに」というのが聞こえました。何人かの人たちは御存じかもしれませんが、宇宙飛行士の間で使われていた「緑色の亀」という用語があります。今はどうか知りませんが、その用語は以前、品のない言行は通信ネットワーク上で禁止されているという意味でした。誰かが品のない言動を発した後、それを聞いた人が「緑色の亀」というと、言動を発した人が「緑色の亀」と言った人とその家族にケープカナーバラル市で一番高級なレストランでディナーをおごらなければなりませんでした。さて無駄話はおくとして、通信をしている中の一人が「こんちくしょう」と言い、その後UFOが離陸した時、彼はまた、「こんちくしょう、すごく速いぜ」と言いました。誰かが「緑色の亀」と叫びました。そしてその宇宙飛行士は「くそったれ」に類した言葉を使い、また違う誰かが「緑色の亀」と叫びました。その宇宙飛行士が歯ぎしりして悔しがっているところが目に浮かぶでしょう。2回も豪華なディナーを奢るはめになったのですから。私のこの特別な体験を議会で証言します。そして必要であれば正確に何が起こったのかを証明します。ありがとうございました。

ジョン・メイナード

私はジョン・メイナードです。陸軍を退役した時、第一階級軍曹でした。21年間の任務を通して最高機密アクセス許可証を保持していました。そのころは細分化されていて最も高度な機密としてはTK,OMNI,CRYPTOその他があります。私は非常に重要な文書へのアクセスができました。私の証言は基本的に二つあります。私は1980年にDIA(防衛諜報機関)から引退しましたが、管理者だった時、事務室のすべてを管理していて、すべての書類にサインしていました。私は2000余りの文書にサインしました。これらの目録にサインするためにはすべてを読まなければなりません。一語一語ではありませんが、私はそれらの文書がすべて完全であると確かめるためにすべてに目を通しました。あらゆる文書は私が次の人に私の任務を引き渡す時そこにありました。ですから、この文書の内容に関する知識は十分に得ていました。どうか信じていただきたいのですが、その中にはUFOに関して言及した文書がたくさんありました。私は目標にされた物体が写ってるNIPC(連邦写真諜報センター)の写真も持っています。私はオフィスでSALT1SALT2の分野で働きました。ですから私たちは核兵器武装解除の証拠とするためいつも写真を撮っていました。その中にはあるはずのない物体が写っている写真がありました。このことについての第二の隠された意味は、多くの人が影の政府に関する陰謀説について話しているということです。私は議会でこれらの影の政府は実際に存在するということを喜んで証言します。私はもう少しのところでその一部となりかけました。しかし正気を取り戻してそこから抜け出しました。私の話はこれだけです。今私たちが知っていることを明かさなければなりません。議会や他のどんな組織の前でも私が目撃したことが真実であると証言します。

カール・ウルフ

おはようございます。私は カール・ウルフといいます。アメリカ空軍で最高機密アクセス許可証を保持していた精密電気写真修理工でした。私は1965年の半ばにバージニア州のラングレー空軍基地に勤務していた時、NASAラングレーフィールドの「月の人工惑星プロジェクト」に借りだされました。コーリー博士がこのプロジェクトを統括していました。ある電気機器が故障していて写真の製作の障害となっていたので私が借り出されたのです。私がその施設に行くと建物には世界各国の科学者たちが集まっていました。私はNASAのプロジェクトで世界中の科学者たちがいるのを見て呆然としました。私には初めその意味がわかりませんでした。私は故障した電気機器がある研究室に連れて行かれました。暗い部屋ではその機械を修理することができなかったので、移動させるように頼みました。その時一人の2等飛行士がその暗い部屋にいました。私もそのころは2等飛行士でした。私はどのようにしてすべてのプロジェクトが運用され、どのようにしてデータが月の軌道から研究室に入ってきたかに興味を持ちました。私がその若い飛行士に頼むと彼は説明してくれました。30分位たった頃、彼は大変困ったように「ところで、私たちは月の裏側に基地を発見しました」と言いました。そして彼は私に写真を見せてくれました。その写真には明らかに、きのこ形状のビル、球状のビル、そして塔の建築物が写っていました。私たちは閉ざされた防衛分野の中で働いていたので、その時私はとても心配になりました。彼が安全保障の秘密を漏らしたので私はとても恐くなり、それ以上彼に質問しませんでした。その後誰かが部屋に入ってきました。私はさらに3日間そこで仕事をした後、馬鹿正直にも夕方のニュースでこのことを聞くのが待ちきれずに家に帰ったのを覚えています。そして30年余りたった今日、今夜こそ、そのニュースを聞くことを願っています。私は議会で私の言っていることが真実であると証言します。ありがとうございます。(拍手)

ドナ・ハーレ

カール、ありがとう。皆さん、おはようございます。私は ドナ・ハーレといい、1967年から1981年までフィルコ・フォード航空宇宙センターに勤務した、デザインイラストレータ製図工でした。私はNASA向けに、発射滑走路、着陸滑走路、照尺図板装置、月面地図の製図をしました。私たちは請け負い業者でしたが、たいていNASAの第8ビルで仕事をしました。宇宙飛行計画の合間のあまり忙しくない時間に余分の仕事をする機会がありました。私は事務室から廊下を隔てたところにあったNASAの研究室である、写真実験室に立ち入りました。私はそれほど高い地位にないのですが、機密アクセス許可証を所持していて、機密区域に入るのを許されていました。そしてこの写真実験室もその一つでした。そこで技術員の一人と話している時、彼は一枚のNASAの写真を私に見せてくれ、それが私の注意を惹きました。その写真には点が写っていたので、「これは何?」と聞くと、彼は私の注意を惹いたのです。私が「感光乳剤の染みですか?」と聞くと、彼は笑顔を見せながら手を組み「感光乳剤の丸い点は地上には丸い影を落とさないよ」と言いました。その写真は地球の空中写真でした。松の木があったので地球だと思ったのですが、この飛行物体らしきものは木の影と同じ角度に影を落としていました。私は彼に確認したかったのですが、未確認飛行物体という単語通り、私にはそれが何なのかわかりませんでしたが、その時点で、それは機密扱いにされていたことがわかりました。なぜなら私が尋ねると彼は「それを聞いてどうするんだい?」と言い、「いつも民間に売る前に修正用エアブラシで消すんだよ」と言いました。これらの写真に写ったやっかいで小さな物体たちを彼らは消去したがっていたのです。その後はそこで働く他の人たちに質問することにしました。そして私は彼らに仕事中ではなくプライベートで質問しなければならないことがわかりました。警備員の一人は写真を一枚も見てはならず、焼き捨てるように言われたと私に言いました。また緑色の軍事服を着た警備員が見守る中、それらの写真を焼却した人もいます。彼はどうしても誘惑にかられ、1枚の写真を見るとUFOが写っていました。彼の描写はとても詳しかったので、後で興味のある方にお話しします。彼はすぐに頭を何かで打たれ額に大きな傷を負い、意識を失いました。とても怖がっているので彼を守る必要があります。次に他の事件についてお話します。私はアポロ宇宙飛行士と検疫所で一緒だった人を知っています。アポロ宇宙飛行士が月に着陸した時、宇宙船を目撃したとその人は私に言いました。そして彼もまた怖がっていて、「アポロ宇宙飛行士はこのことについてしゃべらないように言われていて、彼らはこのことについて話すことを許されていません」と言いました。知っていただきたいのは、私は長い間NASAの請負業者として働いていてこのことに偶然出くわしたということです。ですから長い間働いていたからといってすべての人がこのことについて知っているわけではありません。私の上司は知りませんでしたし、私の隣に座っていた同僚も知りませんでした。これはとても奇妙なことなのですが、どうやってそうできるのか知りませんが、彼らはある一定の人々にはこのことを知らせ、他の人には知らせないようにしているのです。私は喜んで議会で私の言ったことが真実であると証言します。どうもありがとうございました。(拍手)

ラリー・ウォーレン

おはようございます。みなさん、そしてプレスのメンバーの方々、私は ラリー・ウォーレンといいます。20年前の1980年に東アングファのサフォークで、安全保障スペシャリストとして英国空軍(RAF)ベントウォーターのNATOの空軍基地に勤務していました。私は機密安全保障許可証を持っていて、そのころそこに保管されていた補強用核兵器を警備していました。その核兵器の存在はイギリスの人々には知られていませんでした。私は3夜に渡るUFO事件の一部を体験しました。UFOは私たちのWSAの上に侵入し、鉛筆ほどの太さのライトビームを発し、そしておそらくその核兵器を作動不可能にしました。UFO2夜に渡って現れ、エイリアンが目撃された可能性があります。これは知られざる真実です。これらの事件はイギリス政府だけでなく、アメリカ政府にとっても安全防備上非常に重要な出来事です。これらの事件は未だに秘密にされています。これはとても複雑で、大変重大な問題です。単なるUFO問題ではなく、人権問題です。20年前なら、この会議室は空っぽだったでしょう。私は歴史の転換を感じています。これは変化のある歴史ですが、不幸にも安全保障機密の伴う歴史です。私が何を経験したか、何を見たかを議会の前で誓うのは名誉なことです。これらの出来事は数えきれない程の政府による否定とSF小説のような副基地指揮官チャールズ・ホルト空軍中佐のメモを生みだしてきました。そして何年も後、これらの物体が離れ業を演じ、上空を侵犯した音を中佐が録音したカセットテープも生まれました。これらの事件は安全防備上非常に重要です。私はこの出来事を経験した軍の人たちが法的免除を与えられ、ここにいる私たちに加わることを願っています。ここにいる人たちとステージを共にすることは光栄です。私は世界中のすべての子供たちと私の息子デニスのために世界を変えることができると思います。あなたがたもここにいる私たちとともに英雄です。私は議会で今言ったことが真実であると証言します。ありがとうございました。

ジョージ・ファイラーIII

こんにちは。私は ジョージ・ファイラー三世です。私がここにいる理由は私の孫ジョージ・ファイラー五世が金曜に生まれる予定だからです。私は退役した諜報部員で、5,000時間の飛行経験のあるパイロットでした。1962年にロンドン管制塔からUFOを追跡できるかという電話を受けるまで、私はその存在を信じていませんでした。私たちは承諾し、私がいた3万フィートからUFOが旋回していた1,000フィートまで降下しました。私たちは急降下し、その航空機の赤線を越えました。UFOを追跡するのは危険なことです。そして私たちは40マイル先にそのUFOをレーダーに捕らえ、遠くに光を見ることができました。そして私たちが近付くと共にレーダーに何度もそれを捕らえました。レーダー上のUFOは独特な動きをしていて、安定していました。そしてそれは何らかの金属製の物体だということを示していました。私たちが1マイル程先まで近付くとUFOはきらめいて、空に消えました。それはスペースシャトルが離陸する時によく似ていました。その後私は諜報部に勤務し、ベトナムでUFOについてブラウン大将と会見しました。マクガイア空軍基地の21空軍隊にいた時にはグロー大将と1976年のイランのテフラン上空のUFO事件について話をしました。それはイラン空軍の2機の F-4が離陸し、UFOを攻撃しようとした事件でした。彼らが発射コントロールシステムのスイッチを入れた時、すぐに F-4の電気システムが遮断され、彼らは基地に戻らなければならなくなりました。これは特に重要な事件でした。衛星にも捕らえられたからです。1978年の1月18日、私はいつものように朝に基地に行って参謀グループと会見していた時、滑走路の端にライトが点灯しているのに気付きました。私が司令席についたとき、そこを仕切っている下士官が、夜中パンハンドルにUFOが現れ、レーダーにも捕らえられ、管制塔も目撃していて、航空機報告も受けた等々と告げ、UFO1機がフォートディックスに着陸または墜落したかもしれないと言いました。フォートディックス陸軍基地とマクガイア空軍基地は同じ敷地内にありました。この事件は東のロズウェルのようでした。飛行物体からエイリアンが出てきて、軍警官に撃たれたのが目撃されました。その生物は明らかに負傷したようですが、マクガイア空軍基地のほうに向かって歩いて行きました。何らかの理由でエイリアンは陸軍より、空軍のほうが好きなようです。たぶん陸軍は彼らに銃を向けたからでしょう。ともかくその後警備警官が滑走路の端でエイリアンが死んでいるのを見つけました。彼らは私にトム・サドラー大将と8時に会見をするように頼みました。私は「大将はユーモアのセンスがないし、自分自身もこの話が信じられないから会見をしたくない」と言いました。そして私はこの事件の詳細をチェックすることにし、438司令部に電話したら大概皆が同じことを言いました。8時に会見する直前、皆が心配していました。彼らは「会見しなくていいよ。このことはホットすぎる」と言っていました。これがおおよその私の話です。私は議会の前で話をする用意ができています。これは真実です。この事件のおかげで私はUFOに興味を持ち続けています。私は東MUFON (相互UFOネットワーク)の理事をしています。ピーター・ダベンポート率いるアメリカ報告センターとMUFONで一週間に平均100件のUFO目撃報告を受けます。アメリカ中の人々が常にUFOを目撃しているのです。あなたも興味を持ちチェックすれば彼らを目撃することができるでしょう。UFOは低空にいるので人々はいつでも見ることができます。MUFONに報告してくる人々は大変信頼できる人たちで主に電子メールによって連絡してきます。ありがとうございました。(拍手)

クリフォード・ストーン

おはようございます。皆さん、 クリフォード・ストーンです。私はアメリカ陸軍の第一等下士官で、核兵器機密アクセス許可証を持っていました。特殊オペレーションに呼ばれた時いつでも必要な時にしなければならないことをするために許可証を得ることができたのです。今私が話しているのは、墜落したUFOの回収、それからうまい表現がないのですが、その墜落機から油性物質を取り除くことにも関わっていました。これらの墜落にはそれに関わる異星人の遺体もあり、その中には生きた異星人もいました。このようなことをしていながら、アメリカ国民には何もないと言っていたのです。何件かの出来事の概略をもう少し詳しくお話したいと思います。これに関する私の関係についての質問をいつでも受け付けますので、グリア博士に後でアレンジしてもらって下さい。問題は、私たちはアメリカ国民にUFOなんてものは存在しないと言い続けてきたことです。私はこれらの地球外物体の回収に関わってきました。私たちはそれらの物体が地球外から来たことを知っています。1969年にバージニア州のフォートリーに駐在している時起こった事件があります。私たちはペンシルバニアのインディアンタウンの峠に行きました。これが私がUFOの回収に関わった最初の事件でした。私たちが着いた時、施設の人々がすでにそこにいて、私たちは後方支援チームでした。この機には核兵器が搭載されているはずだったのでNBC(核兵器、生物兵器、化学兵器)に関わる作業をすることになっていました。後にこれに関わったほとんどの人が、その機には何も搭載されていず、ただ航空機の1機が墜落しただけだと伝えられました。しかし私はそれ以上のことを知っていました。私はガイガー計数管(放射能測定器)を持って、表面をチェックするためにその機に近付いたチームのメンバーだったからです。私は異星人の遺体の第一発見者でした。これは後に続く12件のうちの最初の事件でした。UFOの墜落は毎日起こるわけではなく、非常にまれなことです。私は宇宙には地球人だけが存在するのでないことを知っています。そして、証拠が存在しないことが存在しないことの証拠ではないことを知っています。そしてその証拠自体がアメリカ国民に否定され続けてきたのです。議会が私を呼び「あなたが見たことを詳しく議会で証言してくれますか」と頼むかもしれないときの、私の答えをあなたがたと全能の神を前にして今言います。私にはその用意ができています。政府は理由もなしに人々にうそをつくべきではありません。ありがとうございました。(拍手)

マーク・マカンドリッシュ

おはようございます。私は マーク・マカンドリッシュです。この21年間さまざまな防衛産業請負業者のためにコンセプトアーティストとして働いてきました。私はロックウェル社のXー30プログラムまたHYSTPプログラムの生産にも携わりました。HYSTPとは超音速テストベッドプログラムのことです(写真を聴衆に見せる)。長年のキャリアを通して、2回程安全保障機密アクセス許可証を持つ機会がありました。1967年に私の父がウエストオーバー空軍基地の第8空軍の空軍戦略司令部に駐在していた時、私は望遠鏡でUFOが核兵器の施設の上空を約10分程飛行しているのを目撃しました。そのUFOはライフルの弾丸のように急速度で飛び去りました。198811月に大学時代の友人であるブラッド・ソレンソンがノートン空軍基地で1112日に開催された航空ショーの際に、巨大な格納庫でUFO3機目撃したと私に言いました。私はその後その地域の下院議員だったジョージ・E・ブラウン・ジュニアの事務所に電話しました。ブラウン議員はそのころ宇宙科学技術部門の下院議員委員長でした。友人のブラッドが行ったプレゼンテーションは軍のトップの高官と議会の議員に向けてのものだったので、私はブラウン議員の事務所が地域の空軍の公務事務所と協力して行ったものだと思ったのです。ブラウン議員の事務所で働く男性スタッフは、そのショーが実際に開催されたことだけでなく、展示物の中には3つの円盤があったことを確認してくれました。これらの円盤は何の支えもなしに床から浮いていたということです。これらは「再生エイリアン航空機(宇宙船)」とされ、あだ名は「フラックスライナー」と呼ばれていました。とても高電圧の電気を使っていたからです。ブラッドは円盤を見たあとすぐにスケッチし、その後より正確になるように描き直しました。グリア博士が今持っているのが彼のスケッチをもとにして私が作ったフラッスライナーの図(絵)です。その後私は2枚の写真を手に入れました(聴衆に掲げる)。この写真は1967年に軍のパイロットであるハーベイ・ウィリアムスが空軍のC-47機でユタ州プロボの25マイルほど南西の高度12千フィートを飛行中に撮影したものです。このUFOはいわゆるARVと呼ばれる戦闘機に寸法と細かい形が一致しています。この写真は1967年の6月に撮影されました。後の1992年にエドワーズ空軍基地の航空ショーでケント・セレンという人と話す機会がありました。その航空ショーはB-2爆撃機の最初の一般市民への公開の場でした。セレン氏は1973年にエドワーズ空軍基地で実験航空機のプロジェクト主任長だった時に思いがけなくARVという機密扱いの飛行機のある施設を通りがかったことを私に教えてくれました。彼はARVについて詳しく描写してくれ、さらにブラッド・ソレンソンが知らなかった内部形態と動作の方法について詳しくつけ加えました。その後、ブラッドは有名な航空機設計者であるバート・ラットン氏と会い、彼にあなたがたが今見ている青写真のコピーを渡しました。ラットン氏はその写真を冗談だと思い、ジョークとしてそれを壁にかざりました。第三者から後に聞いたのですが、エドワーズ空軍基地のレイ・ウォルシュ中佐がラットン氏の家を訪ねた時、この青写真を見てひどく驚き憤慨したそうです。彼はいったいどこでラットン氏がそれを手に入れたのか知りたがりました。というのもそのころ1994年か95年にエドワーズ空軍基地の北基地ビルにそのような航空機(戦闘機)が実際に存在したからです。その後私はこの航空機について調査し、空軍が早くは1960年から再高速度マッハ20までの航空機模型試験風洞円盤テストを行ってきたということを示す多くの機密解除文書を見る機会がありました。そしてまたNASAによるよく似た機密解除文書も持っています。これがその再高速度マッハ20までの航空機模型試験用風洞円盤テストについて書かれている書類です(書類を聴衆に見せる)。そしてこれがさまざまな球状やレンズ状の形の航空機による再高速度マッハ6までの風洞円盤テストが実施されたことについて書かれている機密解除書類です(書類を聴衆に見せる)。ヘラクレス・エアスペースセンターの事務内部メモもその後手に入れました。これにはゼロポイントエネルギーやスカラー波といった特別な科学用語が述べられています。ブラッド・ソレンソンによると、これらが無重力推進技術の元となるということです。この書類には(聴衆に見せる)ニコラ・テスラによって1900年代の初期に発見された根元的能力付与テクノロジーfundamental enabling technologyについて調査する安全防備諜報庁とロシアの科学学会との6回に及ぶ会合のことが述べられています。とにかく後でより詳細をお話することができます。そしてこれらの出来事とその真実性についての詳細を議会で証言する用意ができています。ありがとうございました。

ダニエル・シーハン

おはようございます。ダニエル・シーハンです。私はディスクロージャー・プロジェクトの顧問弁護士です。1967年にアメリカ政府と憲法の研究を専攻しハーバード大学を卒業しました。その後法廷弁護士として働き、ペンタゴンペーパー事件でのニューヨークタイムズ社の共同弁護士の一人でした。そして連邦最高裁判所でニューヨークタイムズ社が47巻にのぼる機密扱いのペンタゴンペーパーを発行できる許可証を得るための訴訟資料の作成と法廷論争に関わりました。その後F・リー・ベイリーの事務所で特別弁護士をし、法廷弁護士の一人としてウォーターゲート強盗罪事件でジェームス・マッコード氏を弁護し、マッコード氏に当時のホワイトハウスにおけるウォーターゲート強盗と「プラマー組合」との関係を証明する手紙をセリカ判事に書かせました。この事件の後、私はハーバード大学に戻り、公共政策におけるユダヤ-キリスト教の社会倫理を学ぶために神学部に入りました。そこで修士号と博士号を取得し、ワシントンD.C.のアメリカ合衆国イエズス会本部の顧問弁護士になり、国家社会聖職者事務所の社会政策事務所に配属されました。そこで勤務中の1977年に、議会研究所の科学技術部門の所長だった、マーシャ・スミスから連絡を受け、彼女と会いました。彼女の話では、カーター大統領は1977年1月の大統領就任の際、当時CIA長官だったジョージ・ブッシュ(元米大統領。現在のブッシュ大統領の父親)と会見し、アメリカ諜報機関が持っている機密扱いのUFOとエイリアンについての情報について要求したところ、ブッシュ長官はそれを断り、その情報についてアクセスするためには機密許可証が必要で、国会研究所(アメリカ下院議院研究所の科学技術部)と接触し、彼らにこの情報の機密解除手続きをしてもらう必要があると大統領に言ったといいます。DCIは大統領がこの情報をアメリカ国民に公開しようとしていると勘ぐったので、マーシャ・スミスの管理下にある下院議会研究所の科学技術部は、下院議会の科学術委員会から異星人の存在とUFO現象との関係について大規模な調査をするよう依頼をうけたのです。スミス氏は、私のアメリカ合衆国イエズス会と国家社会聖職者オフィスの顧問弁護士としての力量で、バチカン図書館にアクセスし、バチカンが持っている異星人の存在とUFO現象についての情報の入手ができるかどうか試してほしいと頼まれました。私は国家社会聖職者オフィスの理事であるウイリアム・J・デービス神父の許可を得て、バチカンに許可を願いましたが、アメリカ合衆国イエズス会命令としてバチカン図書館の持っている情報へのアクセスは拒否されました。私がスミス氏にそのことを伝えると、彼女は私にあるプロジェクトに参加するように頼みました。そのプロジェクトに関しては後の質問のコーナーで個人的に詳しく述べるつもりですが、それによって私は国会研究所の国会図書館の特別顧問として、空軍の「ブルーブック・プロジェクト」の機密部分の文書にアクセスすることができました。1977年の5月だったと思いますが、アメリカ国会図書館のマディソンビルに行く機会あり、その時そこには誰もいませんでした。そのビルは出来たばかりの新しい建物でした。私は地下のオフィスに案内されました。警備員が2人ドアのところにいました。3人目の警備員はテーブルのところに座っていて、私の身分証明書をチェックし、私がアメリカ国会図書館の国会研究所の特別コンサルタントとして任命されていることを確認し、やっと部屋に入ることを許されました。そこで私は墜落し、雪で埋まった土地に溝を作り、土手にはまっている疑う余地のないUFOの写真を何十枚も見つけました。アメリカ空軍の隊員がこのUFOの近くにいて写真を撮影している写真もありました。その中にはUFOの側面に何らかの記号が写っている写真がありました。そして私はこの記号のクロースアップが写っている写真を見つけました。私はメモを取らないように言われていて、鞄と身分証明書を部屋の外に置いていかなければなりませんでした。しかし私は小さな黄色のメモ帳をしのばせていました。そこで私はメモ帳を開き、メモ帳の裏表紙の厚紙と同じ大きさにプロジェクターの焦点をあわせ、このUFOの側面の記号をなぞりました。そしてメモ帳を閉じマイクロフィルムを箱に戻してふたをし、「行く時間だ」とつぶやきました。そしてそのメモを持って部屋から出ようとしたら、警備員が私を呼び止めて言いました。「シーハンさん、そこに持っているのは何ですか?」私はメモ帳を手渡し、彼はページをめくりましたが、私が書き写した絵は見つかりませんでした。そして私はメモ帳をアメリカイエズス会本部に持ち帰りました。スタッフとウイリアム・J・デービス神父とでミーティングを開き、彼らにこのことを報告しました。私はそのころアメリカイエズス会本部からアメリカ教会会議にレポートを作ることを公認されていたので、私は国内の54のすべての主要な宗派に異星人についての研究を引き受けるよう依頼することを要求しましたが、教会会議はそれを拒否しました。その後1977年に私はSETIのジェット機推進力研究所の50人の科学者たちに3時間の非公開のセミナーをするように頼まれ、引き受けました。私は喜んでアメリカ議会で証言しますし、どんなメディアの人たちとも会見します。その時皆さんは私がカレン・シルクウッド事件の主任弁護士を務め、この件で勝訴したことを思い出されるかもれません。また、私はイラン・コントラ事件でも主任弁護士を務めました。また、私はアメリカ議会で、リチャード・C・コーデンとアルバート・ハッキムの隠された計画の存在について最初に証言した人物です。私は喜んでこの隠された計画と影の政府についての私の信ずるところの詳しい関係を述べます。彼らがアメリカ国民にUFOについての情報をひた隠しにしているのです。私はディスクロージャープロジェクトの顧問弁護士であることに満足しており、とても誇りに思っています。ありがとうございました。(拍手)

キャロル・ローゼン

おはようございます、私は キャロル・ローゼンといいます。1974年に小学6年生担任の教師を務めた後、アメリカのロケットの父である故ワーナー・フォン・ブラウン氏を紹介されました。最初に会った時、最初の3時間半のうちに彼は私に言いました。「キャロル、君たちは宇宙兵器の使用を中止するよ」と。そして私が「冗談はおやめになって」と言うと、彼は「違うんだ。わかってくれ。今は2月だ。宇宙兵器の使用を止めなきゃいかん。その背後には嘘が隠されているからだ。最初のうわべ上の宇宙兵器使用の目的は悪の帝国ロシアだ。」「それ以外にもたくさんの敵がいるんだ。そしてその架空の敵に対して宇宙に基地を持つ兵器システムを作るんだよ」と言いました。  最初の敵はロシアだ、と彼は言うのです。そして次の敵はテロリスト、そしてその次は第3世界の国々、現在私たちが呼ぶところの劣等な国々や問題を抱える国々。そして次は小惑星。そして彼は次から次へと続けました。そして最後のくじ、そしてそのまた最後のくじ、そして最後は異星人からの脅迫なのだと。ですが、私は彼が小惑星とか異星人と言った時、それをまじめに取りませんでした。というのもその問題に自分が関わることになるとは思っていなかったからです。そして今まさに、彼らが次の敵を持ち出したことをニュースが伝えています。言い換えれば、1兆ドルにものぼるお金を使い、その莫大なお金を宇宙基地の兵器システムに浪費するには何らかの理由がなければならないのです。ところがそんな理由はすべて嘘です。「これは誰をも守ることのない防衛システムなんだ」フォン・ブラウン博士は言いました。そのころでさえ、彼は宇宙兵器の対象とはならないはずのスーツケース爆弾や化学兵器、生物兵器について話していました。そして彼は私に、もし世界旅行すれば(彼が亡くなってから実際1977年に旅行したのですが)、、、100ヶ国以上で友人たちに会うだろうと言いました。彼らは敵ではありません。彼らは宇宙兵器なんて作りたがっていません。私は宇宙防衛ミサイルコンサルタントになり、世界中の人々と働く機会がありました。私は中国の人々へのアドバイザーになりました。彼らは宇宙兵器システムを建設したがっていません。そしてフォン・ブラウン博士は当時からそのように言っていました。彼は「ロシアに行くんだって? 彼らは私たちの敵だと思われているんだよ」私は一人で飛行機に乗りました。ロシアに着くと、新聞で読んだ人々のリストがありました。当時チェルネンコ氏が書記長でした。チェルネンコ書記長がそのリストの中で私が会えなかった唯一の人です。ロシアの人々は私を皆に紹介してくれました。アメリカに帰ってから、「フォン・ブラウン博士が言っていたのは嘘じゃなかったんだ。ロシアからの脅威なんてなかったんだ」と思いました。そして27年間、私は今日のこの日を待っていました。私は混乱が起こるのを待っています。というのもフォン・ブラウン博士は軍の戦略家、そしてMXミサイルの研究家として(後に私も研究家になりました)私に説明したからです。「私たちは宇宙兵器を使う敵を探す口実を待っているんだ」と彼は言いました。「今私たちは口実となる混乱を期待するべきだ。なぜなら、諜報機関の公式はこういうものだからだ:彼ら(敵)は兵器を所有しているかもしれない。だから私たちは彼らがこれらの兵器を所持しているという風に想定しなければならない。彼らが兵器を所持しているので、私たちもそれに対抗する兵器システムを建設しなければならない」  この公式は、すべて嘘によってなりたっています。今日異星人とその乗り物は地球を訪問していて、それはもはやUFO(未確認飛行物体)ではなく、確認されている飛行物体で、生物が乗っていたという証言がされました。そしてここにいる証人たちは、彼らが私たちのミサイルの地下格納室を遮断することができ、ロケットが宇宙に飛ぶのを止めることができると言いました。私たちにはフォン・ブラウン博士が1974年から1977年にかけて私に言ったことを支持することができる機密扱部署で働き、今日ここに来る勇気のあった証人たちがいるのです。私は「宇宙安全保障協同協会」を設立した時言ったことを議会で証言します。私はこの協会がこのように巨大で世界中に根をはった複雑な兵器システム、軍事産業を、グリア博士の述べたような恩恵を与える宇宙産業に転換させることができるとは思えなかったので、数年前に解散しました。地球の温暖化についても、私たちはこの問題に終止符を打つことができ、エネルギー危機を防ぐことができ、環境汚染のない技術を作り上げることができるのです。ワーナー・フォン・ブラウンは当時から、私たちはすでに宙に浮く車を作ることができると言っていました。彼は、その車は光線(ビーム)で動くのでこの地球から環境汚染をなくすことができるのだと私に言いました。人間と動物が抱える緊急で潜在的な問題と、地球と宇宙における他の文明の問題を解決することができるのです。ワーナー・フォン・ブラウンが私に言ったように、産業を失うことなく、人々から職を奪いとることなく、また経済への影響なしに、軍事産業を世界規模の宇宙産業へと転換させることができるのです。それが最終的にどんな戦争や冷戦時よりもより多くの雇用と利益をこの地球にもたらし、この惑星の抱える問題に直接的に適用できる製品やサービスを供給するようになるのです。地球上のすべての文化、民族がこの地球で平和に暮らすことができ、すべての異星人文化が他の宇宙の星で平和に暮らすことができるのです。これらはワーナー・フォン・ブラウンが1974年に私に語った言葉で、私は今言ったことすべてとそれ以上のことを議会で証言します。ありがとうございました。(拍手)

締めの言葉 スティーブン・グリア博士

どうもありがとうございました。証言者の皆さんとあなたがたの忍耐強さに感謝します。予定を50分ほど遅れていて申し訳ありません。強調したいのは目撃者が見たことをすべて話すには2時間から5時間ほどかかるということです。今はそのスナップ写真をお見せしようとしているだけです。私たちには他に400人もの目撃者たちがいます。私はこの重荷を8年間抱えてきましたが、今、事を進めていくためにアメリカ国民、そして世界中の皆さんと分かち合っているのです。それではマスコミの皆さんからの質問を受け付けたいと思います。あなたがたの判断で、私に対する質問でも、他の目撃者に対する質問でも結構です。

ナショナルプレスクラブ目撃者証言の終わり 質問と応答

スティーブン・グリア博士 「はい、そこの女性。」

「ファーマ・メキシコ新聞です。質問が3つあります。一つ目はこのような秘密を何らかの形で保護する法律がこの国にはあるのでしょうか。そして2つ目は法律を変える必要があるのでしょうか。そして3つ目はエネルギー危機の解決策を秘密にすることによって誰が利益を得ているのですか。」

グリア博士「時間がないので手短にさせてもらいます。発端は1940年代のトルーマン政権時代とアイゼンハワー政権時代に合法的な国家安全保障組織が配置されていたと思います。現在でも弁護士をなさっているスティーブン・ラブキン准将が、アイゼンハワー政権時代の終わりにこれらのプロジェクトのコントロールが失われたと証言しました。主な理由は軍事産業複合体、諜報部員用語では「産業」の細分化によるということです。SAIC社、ロッキード・マーチン社、ノースロップ社など、UFOに関連する発達したエネルギー推進力システムを特に扱う企業があります。8年に渡って会見してきたインサイダーたちの話から私が考えられることは、私たちは憲法の立場からのコントロールを失ったということです。軍事諜報機関と企業の設備基盤は潤沢な資金を受け、とても複雑な迷宮のようで、閉ざされ、細分化された中にまた小さな区分があり、そのまた区分があるといった状態だからです。そして議会のメンバーで照会を求めた人々、先程の証言で皆さんが聞いたカーター大統領がアクセスを拒否されたように、実際クリントン大統領が照会を求めた時、アクセスを否定されました。他の質問について言いますが、現状から利益を得ることに関して言えば「石油」です。化石燃料の決定的な転換をよく思わない地政学的なそして金融界の勢力が存在します。私は原子力発電所をイオン化する化石燃料の完全な代替物がすでに存在していることを、公に出てくる準備が整っている科学者たちと協力して証明することができます。化石燃料はもう必要ないですし、おそらく私が生まれて以来必要なかったのです。もちろんこれは重要な問題です。私たちは何兆ドルもの世界規模の社会基盤の転換について述べているのですから。これは国家安全保障会議の経済分野に警鐘を鳴らすものです。しかしこれよりもっと国家安全保障にとって危険なのは現状を維持することであり、地球規模の生態系の崩壊に突進することなのです。そして化石燃料不足によって、カリフォルニアだけではなく世界規模の停電が起こることなのです。私たちはこのことについて何かしなければなりませんし、そのために議会で開かれた公聴会をするように運動しているのです。他のメディアの方、お願いします。」

(プレスのメンバー)「国連はこのことに注目していますか?」

グリア博士「私は元国連事務総長のブトロス・ブトロスガリの奥さんに個人的に会いました。彼女が言うには、ガリ氏はとても心配していたそうです。1990年代のことでした。それ以来国連の何人かの人々が照会を求めたのを知っています。問題は、国連はこれに関して命令権がないということです。国連の加盟国から命令権を与えなければならないのです。そして一般の人々と加盟国が国連に対してこの問題に関与することを要求する必要があると思います。これは国際平和と安全保障に関する課題なので、国連常任理事国よって取り上げられる必要があり、もちろん私たちもそれを勧めています。」

(プレスのメンバー)「クリフォード・ストーン氏への質問です。あなたは墜落したUFOに乗っていたエイリアンを見たとおっしゃいましたが、彼らはどのような姿形だったか描写してもらえますか。」

クリフォード・ストーン「描写できますが、それにはおそらくかなりの時間が必要になります。なぜかというと、私が1989年に退役した時にすでに57種類の異星人が目録に載っていたからです。その中のある種は、多少の違いを除けば、道を歩いていてもたぶん私やあなたがたと区別がつかないほど似ています。違いというのは、彼らは真っ暗な部屋を平気で歩くことができ、そしてその中で物に触っただけで、その物体の色がわかるということです。臭覚と視角と聴覚が非常に優れています。またあなたがたがグレイと呼ぶエイリアンには色々なタイプがあります。軍では彼らをグレイとは呼びませんでしたが、少なくとも3種類のグレイが存在します。私たちよりもっと背の高いものもいます。ここで指摘したいことは、私たちが目録にした異星人の大半はヒューマノイドだということです。科学者たちにはなぜそうなのかを研究する機会ができました。というのも、他の惑星で生命が進化するとヒューマノイドや私たちのように2足動物ではなく、他の生物の形を取るのではないかと推測しがちだからです。明らかに宇宙にはヒューマノイド型の異星人がかなりいるということです。そしてそれが科学者にとっての問題となります。」

グリア博士「呼ばれた人はどこのマスコミに所属しているのかを言ってください。」

ジーン (ユナイテッドプレス・インターナショナル)「航空機を見せてもらえますか?先程絵を見せてもらった、、、なぜ航空ショーでこの機が展示されていたのですか? これからとても有益になるとあなたがたが主張する動力の源とはなんですか? そしてこの航空機は政府によって独自に開発されたものではないとどうしてわかるのですか?」

グリア博士「エイリアン複製航空機(宇宙船)という証言があったと思います。正確に言うと、これは非常に高度な反重力、ゼロポイント・エネルギーを用いた推進力システムによって作動するということです。この推進力システムはロッキード・マーティン社やノースロップ社、SAIC社や他の複合会社によって開発されたものです。 エイリアン複製航空機(宇宙船)は超光速能力を保持しています。つまり、光より速い速度で飛ぶことができるということです。マッカンディッシュ氏や彼が触れた他の証人たちが科学技術に関してより詳しく説明できると思います。私はバージニアの田舎の一医師なので、、、エイリアン複製航空機(宇宙船)と呼ばれるのは、異星人宇宙船の研究に基づいて、軍の諜報機関と航空宇宙開発請負企業との協力によって生産されたものだからです。これはとても重要なことです。なぜなら私たち人間はいわゆるゼロポイントフィールド・エネルギーにアクセスできることを示しているからです。ゼロポイントフィールド・エネルギーとは場全体のエネルギー場のことで、そこから存在あらゆるものとエネルギーが流動的に、化石燃料や環境汚染なしにこの惑星を運営できるすべての動力を発生させることができるものです。」

ジーン (ユナイテッドプレス・インターナショナル)「あなたがたには直接的な証拠があるのですか、というのも私たちはとても適切に特別プログラム“carnivore”と名付けられたのと同じ政府のことを言っているのですから。単にそれがエイリアン複製航空機(宇宙船)と呼ばれているから言って、UFOについて長い間の歴史と疑問が存在してきたことを考えると、、、これが実際にその技術に由来するものだということを信じさせる直接的な理由があるのですか。そして証人たちはそれについて立証するのですか。ロケットエンジンを必ずしも電気に翻訳する必要はありません。もう少し詳しく説明してもらえますか。」

グリア博士「最初の質問については、目撃者の証言があります。何人かはここにおり、他の人々は報告書には載っていてここにはいませんが、彼らは特別に回収された異星人航空機を研究していたのです。その研究の目覚ましい発見がエイリアン複製航空機(宇宙船)や他の反重力装置の製造につながっていったのです。これは議会の公開公聴会で証明できます。これが私たちの目的です。私たちはそれを立証するとができ、証人たちは資料と推進力システムについての特別で詳細な知識を持っています。これはジェット機内部燃焼システムではありません。実際にあるタイプの電源によってスイッチが入りますが、その後はそれがこの存在するあらゆる物質とエネルギーを含むゼロポイントエネルギー場にアクセスするのです。そして特別な相関関係によって慣性を消滅させ、反重力効果を生み出すのです。これは非常に複雑で専門的なテーマなので、おそらくこの会見の範囲外になります。しかし早くも1950年代から反重力効果を研究してきた人々に言及しながら、報告書の中の資料をお見せすることができます。ある証人は、彼の家族がランド・コーポレーション社と関係があり、1950年代の半ばから反重力進力システムにマンハッタン・プロジェクトよりも多くのお金が使われてきたと述べています。ですからこれらの点を立証することができます。次の質問をお願いします。 」

マレー・フィッシャー「ありがとうございます。私はマレー・フィッシャーです。下の階で、宇宙からの地球の偵察と監視を扱った「ワシントン遠隔感知レター」という広報紙を発行しています。1972年以来、LAN Sat1の打ち上げと現在商業用の宇宙映像衛星の打ち上げによる記録が残されており、おそらく3500万枚ぐらいの宇宙から撮影した地球の写真があります。ですが、その中にUFOの写っている写真は一枚もありません。それらはすべて修正用ブラシで消されてきたというのですか?」

グリア博士「私たちが述べているのは、政府が運営する衛星以外の衛星の情報が一般の人々に渡る以前にこのタイプの証拠を隠滅させる細分化されたシステムがあるということです。ここにいる、防衛諜報機関で働いていたメイナード氏、そしてハーレ氏や他の人々の証言がそれを実証すると思います。そのような証拠隠滅プロジェクトに関わってきた他の証人もいます。完璧な調査をすれば見落とされて証拠が隠滅されなかった何枚かの写真が見つかるかもしれません。私たちには目録に載った何百万枚もの写真の中からそれらを探し出す調査資金がありませんでしたが、これらの証拠が徹底的に隠滅されてきたことは知っています。何十億ドルもの私たちの税金が使われるこれらの秘密のプログラムが効果的に隠蔽され続けることができるほどに一般市民はナイーブであってはなりません。これはメディアと一般大衆との間の一つの神話の類いです。私たちはそのようなことがあるはずがない社会に住んでいるというポリー・アンナ(手に負えないほど陽気な楽観主義者)神話のようなものです。しかし実際、それは行われてきており、私たちはそれが事実だということを証明できます。」

(プレスメンバー)「証人の審査の過程について知りたいのですが。それについて説明してもらえますか。」

グリア博士「私たちは、目撃者たちが本当の善意の持ち主で、真実を語っているということにとても満足しています。400人のうちの、、、この20倍もの人々と関わっています。だまされたことはあるかですって? ええ、私は緊急病棟の医師です。つまりこういうことです。人々は担架の上で痛みにもがきながら緊急病棟に運ばれてきます。たとえば腎臓結石で。中にはトイレに行って自分の指を切り、尿検査のカップに血を混じらせ尿に血が入っていると見せかけ、麻酔薬の注射を受けようとする人もいます。緊急病棟医師としてだまされたことがあるかって? いいえ、私にはだまされたことがわかるぐらいの頭はあります。時折は? 可能はあります。ではしばしばだまされているでしょうか? いいえ。大切なのは、1回か2回だまされたからといって、痛みで来るすべての患者を嘘をついていると決めてかかって治療しなかったり受け入れなかったりすることはないということです。この分野ではだましの例はたくさんあります。しかし、すべてがそうであることを意味しません。私たちが述べているのは、大量の調査の結果、資料と、最高機密の目撃者たちと、これが真実であると国会で証言する内部関係者(インサイダー)たちを見つけたということです。もう一つ重要な点は、目撃者たちのうちの何人か、シーハン氏と私、そして2人の弁護士は国から資格を受けた職業に就いています。つまり、もし私たちが虚偽の行為をしているのが発覚すれば、医師としてまた弁護士としての資格を失うのです。私たちは公共の場で人々をかついでいることになるのです。あなたがたの目前にいる人々は信用のおける人々で、他の証人たちも私たちが信用できると見極めた人々です。確かに私たちはCIAではありませんし、5万ドルものお金をかけて個々の身元調査をすることはできません。しかし私たちはとても慎重に面接をしてきました。これらの人々はDD214票(安全防備票)や、彼らがある一定の時期にある場所で軍に所属していたという証拠になる書類を私たちに提示しました。私たちは証言の重みが今日勝利を得たことに満足しています。これは真実なのです。」

ジョン・サイファー「私にはその質問に関連してあることを申し上げたい。世界中で何千ものUFOの目撃事件が起こっています。その中でただ一件だけが真実であればいいのです。なぜならその一件の真実によってすべての件が真実ではないという事実が崩壊するからです。」(拍手)

(ここでテープ中断)

グリア博士「…署名されたあらゆる契約とそれから派生したものは、すべて法律上無効なのです。つまり、法理論上で言えば、不法(非合法)な事業の結果なされた契約は法律上の地位がないのです。今日この会見を聞いている人々は自由に話をしていいということを私は申し上げたい。私たちはこの話題に関する国家安全保障上の誓約は法律上無効であると宣言します。それらは不法な事業から派生したもので、憲法上何の地位もありません。私の母の家族は、アメリカ独立革命でイギリスと戦い、捕虜になりました。彼らはこの国を設立するのを援助しました。彼らはこのようなごまかしが押し通されるためにこの国のために戦って死んだのではありません。人々は自由に話すことができます。証言者に対して法律上の効力は及びません。私たちにはこの説を支持する弁護士がいますし、他の憲法学者もいます。今こそゲームを終了させる時なのです。人類にとって新しい時代の幕開けの時なのです。」

質問と応答終了

グリア博士のインタビュー

グリア博士「私たちはこのことが起こってきたということを事実として知っています。私は個人的にクリントン政権時のCI A長官に会って話をしました。彼はUFOが存在するという事実は知っているけれども、これらのプロジェクトには全くアクセスできないと言いました。1994年にそれと同じことを上院歳出委員会の調査員長だったニック・ダマト氏が私に言いました。彼は大体年間400から800億ドルものお金がこれらの機密プロジェクトに使われていると言いました。彼はトップシークレット許可証を持っていてもこの機密プロジェクトの内部にアクセスできませんでした。彼はこれが闇のプロジェクトの内で彼が発見した最初のことだと私に言いました。ですからこれはとても重要なことで、そこから問題が生じます。もし私たちが、アイゼンハワー大統領が「軍産業複合体に注意せよ。彼らは私たちの民主主義のチェック・アンド・バランスから逃れることができるからだ」と警告されたとおりの道を歩んできたのなら――この問題についてはそうであったと私は思いますが――議会は今こそこの問題に関して人民を代表し、これらのプロジェクトの監視を再主張する必要があります。」

プレスのメンバー「最後の質問です。チェック・アンド・バランスを取り戻すとおっしゃいましたが、証言者の方々はどれほど自信をお持ちですか?」

グリア博士「証言者たちは彼らが見たものが何であるか知っています。彼らは空軍、NRONational Reconassance Organization 国家偵察組織) 職員、CIAと契約していた人々、そしてTVキャスター、トム・ブローカーが「偉大な世代」と呼ぶ、わが国の英雄である第二次世界大戦のパイロットにまで及びます。私が言いたいのは、彼らは自分が目撃したのが何であるかを知っているということです。彼らは自分たちが直接見たもの以外のことは話しません。私たちは曖昧模糊とした現象について語っているのではなく、実際に地球外飛行物体を回収した人たちについて述べているのです。」

キャロル・ローゼンのインタビュー

「彼らは誰一人として敵意を持っていません。エイリアンたちはミサイル格納庫を遮断できることを私たちに示してきました。彼らは何千年もの間地球を訪れているのです。」

プレスのメンバー「いわゆるエイリアン誘拐事件の特別養成プログラムspecial breeding programsについてはどうですか。」

キャロル・ローゼン「私たちは私たちが知っていることを扱っているのです。私たちが知っているのは彼ら(エイリアン)には敵意がないということです。どうやって説明していいかわかりませんが、一つ例外があります。彼らは彼らの技術で何ができるのかを私たちに示したのです。想像できますか、技術を通して、文字どおり苦難から人々を救うことができる、ですからここで私たちが扱っているのは具体的な証拠なのです。」